RAINBOW

栃木出身の夫婦が世界一周の旅を通して感じたことや体験したことを日記や写真で紹介

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ナチスドイツが残した『負の遺産』


ポーランドのクラクフの町に旅行者がやってくる他の理由。



それは、”ナチスドイツ軍が残した過去の惨劇”を知ることが出来るという事。





ユネスコはこの事実を後世に伝えるため、二度と同じ過ちが起こらないようにと、

『負の遺産』として、世界遺産に登録。













”アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチスドイツの強制絶滅収容所”






現在、博物館として一般公開されています。


僕らがポーランドに来た最大の目的は、ここに行くため。





アウシュヴィッツという名前は過去にテレビで見たことがあり、おおまかな事は知っていた。


また、他の旅人さんが日記を通して伝えていたので、どんな展示内容なのかもある程度知っていた。







でも、どうしても自分たちの目で見て、感じて、過去の事実を知っておきたいとう思いで、行って来ました。










まず始めに、

アウシュヴィッツ強制収容所がどんな場所だったのか・・・



第2次世界大戦中、

ナチスドイツ軍による東部ヨーロッパ地域の植民計画の、一環で造られた強制収容所。

収容された人間は、ドイツ軍の強制的な労働力となり、

また、労働力にならない女性や子供・老人などを処分するための『絶滅収容所』としての役割も果たしていた。


当初は、ポーランドの政治犯を収容するためだったが、時間が経つにつれて、ヨーロッパ全土の人間を送りはじめたという。


ここに収容されていたのは主に、

ユダヤ人、政治犯、ジプシー、精神障害者、身体障害者、同性愛者、捕虜、聖職者でピーク時には14万人もの人が収容されていたという。




特に多かったのはユダヤ人。





なぜ?





そこには、ナチスドイツ軍の思想があった。


”自分達の人種(アーリア人種)こそが最高の人種である。アーリア人こそが世界を支配する。逆にユダヤ人の血は最も劣った病原菌だ”



これが、ユダヤ人が多く収容された理由。

















アウシュヴィッツ・2

アウシュヴィッツのゲート。

『働けば自由になる』という意味のプレートが掲げられている。


プレートの左側の文字の”B”の文字

アウシュヴィッツ・3

上下逆さまになっているのは、これを作らされた収容者の小さな反抗心だそう。



この門をくぐった収容者は毎日過酷な労働をさせられ、飢え、監禁、そして死刑執行という手段で虐殺されていった。






アウシュヴィッツ・4

アウシュビッツには28棟の収容所があり、そこに最大28,000人が収容されていたという。










ここ(ビルケナウ)に連れてこられたら、まず選別を受ける。

アウシュヴィッツ・5


アウシュヴィッツ・6




労働者


人体実験の検体


そして、









価値無し










選別の手段は、選別する人間の意志に任されたという・・・






労働可能な人間は収容所へ。

労働力にならないと判断された人間は、ガス室へ。






ガス室=死






ガス室へ送られるのは、主に女性・子供・老人・身体障害者。

運ばれた人間の70%~75%がガス室行きだったという・・・

あまりにも残酷。




アウシュヴィッツ・7

使用されたガス容器の残骸







展示室には、ガス室へ送られた人達の遺留品が山積みに

アウシュヴィッツ・8


アウシュヴィッツ・9






アウシュヴィッツ・10






アウシュヴィッツ・12


アウシュヴィッツ・11

かばんには名前が書かれている。

ここに連れてこられた人々は、国を移ると言って騙されて連れてこられた。

だから、みんな自分の財産や洋服などを大きいカバンに詰めてやってきた。

多分、新しい土地に行くって、これからの人生のこととか、期待もあったんだろうな。






山積みの靴。

アウシュヴィッツ・14


アウシュヴィッツ・15

中にはオシャレな靴もたくさん。

特に女性用。

だって、新しい土地に引っ越しだもんね。

普段はいてる靴で来るよね。

アウシュヴィッツ・16






それなのに、降り立った場所は、周りが有刺鉄線で囲まれた場所。

「なんだ?」

って思うよね。





不安だったろうな。








シャワーを浴びるからといって服を脱がされ、

何も分からずにつれて行かれるのがガス室だなんて・・・












目の前に置いてある遺留品は全て本物。

写真を見ながら、遺留品を見ながらそんなことを思うと胸が締まる・・・







アウシュヴィッツ・13

子供用の服や靴も。









処分された人々の髪の毛はマットレスに。

金歯はドイツ軍の資金に。

その他、押収された物品はドイツ本国へ送られ利用されていたんだという。










また、死んだ人間を焼却する役割を任されるのは、収容されている人。

でも、この役割の人間は全てを知ってしまうため、口封じに数週間後には殺されて、また違う人間が役割を果たす。

この繰り返し・・・







人間のやることじゃない。
















働ける人間は、全て荷物は押収され、渡されるのは囚人服のみ。

それが彼らの全ての持ち物。

アウシュヴィッツ・17

そして、髪を剃られ、写真を撮られ、番号で管理される。

途中から、写真は手間がかかるという理由で、直接肌に番号を入れ墨になっていった。




展示してあった写真には年月日が記載されていて、

アウシュヴィッツ・30

左が入所日。

右が処分された日・・・


入所してたった2日。




写真には全て両方の日付が入っていた。









労働力として収容されると、死ぬまで働かされる。

ろくな食事はもらえず、

朝食は500ccの濁ったコーヒーと呼ばれた液体。

昼食は水のような腐った野菜で作られたスープ。

夕食は300グラムのパンとマーガリン、薬草の飲み物。


重労働と飢えにより衰弱した囚人に待っているのは死だった。







ガス室行きを免れた子供も、大人たちと同じ規則に従わされ、医学実験・人体実験の材料にされたという。












アウシュヴィッツ・19

収容された人達の寝床。

乱雑な作りの為、板が壊れ下の人間を押し潰すこともあり、場所取りでの争いもあったという。

衛生的に劣悪な環境で、伝染病なども蔓延し、大勢の人が死んでいった。













死のブロックといわれる11号棟

アウシュヴィッツ・20

ここは当時のままの姿で残っている。

部屋の中にヒトラーの絵がかかってた。

アウシュヴィッツ・21

この絵を見た時、ほんとにゾッとした。

ここに来るまでに見て来た惨劇を実行した、ナチスドイツの指揮官の顔。


人間の顔をした、悪魔。






そして、この11号棟と10号棟の間にあるのが、

アウシュヴィッツ・23

『死の壁』

アウシュヴィッツ・22

この壁の前に人を並べて銃殺した場所。

左側の棟の窓に目隠しされているのは、銃殺を見られないようにするため。



収容された人達は、銃声だ耳にするたびに怯えていた・・・

それにより、収容者の戦意や脱走の意志を消していった。







アウシュヴィッツ・24















そして、ビルケナウ

アウシュビッツから3kmほど離れた場所にあり、広大な敷地に300棟以上のバラックが立ち並んでいた強制収容所。

1941年から1945年の間に百数十万人の命が奪われたという。

アウシュヴィッツ・26

『死の門』と呼ばれるゲートに続く線路。

この先で、送られてきた人達は選別される。



アウシュヴィッツ・25




アウシュヴィッツ・27

ほとんどのバラックが壊されている。




アウシュヴィッツ・28

ガス室と遺体焼却所があった場所。

証拠隠滅の為、ナチスドイツ軍が爆破したのだという。




アウシュヴィッツ・29

国際慰霊碑


















過去に起きた悲惨すぎる出来事。

カンボジアのキリングフィールドでも、実際の虐殺現場に訪れた。

ここもそうだった。

指揮官の、独裁による自分の国をつくるための行為。



人が人を平気で虐待し、虐殺する。

ヒトラーの思想は、もはや人を人として扱っていないからね。

”不要”

たったそれだけの理由。






目を覆いたくなるような事が、過去に実際に起きている。




ホロコースト。大量虐殺。





現代の日本に住んでる僕らからしたら、遠い遠い、全く関係ない言葉。


だからこそ、こういう場所に来て事実を見たいと思った。


そして、過去にこういう事実があったという事、こういう場所があるという事を伝えたいと思った。



この旅をしているうえで僕らが出来る事は、

事実を、見たことを、感じたことを伝える事。



アウシュヴィッツ・1






written by カズ






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テーマ:世界一周 - ジャンル:旅行

  1. 2012/04/14(土) 21:07:54|
  2. ポーランド
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6

コメント

わたし、高校でナチスドイツの勉強してたので、この記事すごく良かったです。
みんなにも見て欲しくてfacebookでシェアしちゃいました!
やっぱり観光客多いんですか?そしてどんな国の人が来てましたか?
  1. 2012/04/16(月) 08:38:15 |
  2. URL |
  3. みき #-
  4. [ 編集 ]

かずさん、さやさん元気ですか?
いつも楽しみに読んでます☆

過去を知る事しか出来なくても、
誰も何も知らずに過しているのとは
”これから”の世界が全然違うと思います。
そして、”見る”のと”聞く”のでは
これまた全然違う。

沖縄のガマに入った時も
そう思いました。

素敵な記事をThanks!!です!!

私達もいつか訪れようと思います。
  1. 2012/04/16(月) 13:31:47 |
  2. URL |
  3. Saaya #6An/GU3o
  4. [ 編集 ]

元気ですか

元気ですか?いつも楽しみに見てます。
今年インフルエンザにかかり死にそうでしたv-40

帰ってきたらホームページの作り方教えてv-290
  1. 2012/04/16(月) 16:48:11 |
  2. URL |
  3. さちえ #-
  4. [ 編集 ]

To みきちゃん

へぇ、高校の時にねー。スゴイ難しい議題に取り組んでるねぇ。
そしてfacebookでのシェアありがとう。
少しでもいろんな人に過去の悲劇を感じて未来につなげてほしい。

そしてたくさんの観光客がいたよ。
基本はガイドツアーでまわるんだけど、英語・スペイン語・ドイツ語・フランス語・ポーランド語(あと確かロシア語とチェコ語)があったはず。
アジア系(日本・韓国・中国)は団体ツアーで来てる感じ。
アフリカ系(黒人)はほとんどいなかった。
でも、修学旅行みたいな学生の団体がたくさんいたよ。
それも、スペイン語とか英語とかで説明を受けてる学生達もいたしね。
  1. 2012/04/17(火) 00:55:43 |
  2. URL |
  3. カズ&さや #-
  4. [ 編集 ]

To Saayaちゃん

カンボジアに行った時もそうだったけど、こういう出来事を知ることは本当につらい。
でも目をそむけてしまったら何も変わらないもんね。

だからこそこうやって現場を残して後世に伝えていかなきゃいけないし。

saayaちゃんが言うように心に留めておくだけでも全然気持ちが変わるよね。
ここはぜひ訪れてほしい場所のひとつです。
  1. 2012/04/17(火) 01:08:34 |
  2. URL |
  3. カズ&さや #-
  4. [ 編集 ]

インフルエンザ大変でしたね!!!
さちえさんだけ?それとも他の家族もかかっちゃったのかな?

ホームページの作り方もちろん教えますよ~♪
だけど、ウチらはHP製作ソフトで作りましたよ。
  1. 2012/04/17(火) 01:12:44 |
  2. URL |
  3. カズ&さや #-
  4. [ 編集 ]

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